ベトナム戦争から帰還した元海兵隊員の黒人青年ドン・コーネリアス(Don Cornelius)(※注1)は、シカゴのソウル系音楽専門ラジオ局でDJとして働きつつ、1970年8月17日シカゴのローカルTV局“WCIU-TV(チャンネル26)”の毎週月〜金の週5日間という枠で“Soul Train”の前身となる番組を企画しスタート(※注2)。黒人音楽専門のヒット曲発信番組ということでシカゴ周辺で人気を集めたが、この番組の目的には黒人(アフリカ系アメリカ人)の若者の将来を支援するということにもあったという。翌年には全国展開を目指しスタジオをLAに移し、1971年10月2日にグラディス・ナイト&ザ・ピップス(Gladys Knight & The Pips)、エディー・ケンドリックス(Eddie Kendricks)、ハニー・コーン(The Honeycone)等をライブゲストに迎えて、新しい番組スタイル“Soul Train”が始まった。
ライブ演奏とダンスで構成された“Soul Train”はディスコ文化の先駆者であり、“ディスコ”から“ハウス”や“テクノ”という流れを作った番組と言っても過言ではなく、20世紀後半のダンス・ミュー ジックの歴史は“Soul Train”の中でその変化が常に映し出されていった。
“Soul Train”の見所は、毎回変わるライブ・アーティストの豪華さと、“ソウルトレイン・ダンサーズ”(※注3)と呼ばれるダンサー達のダンスや個性的なファッション、ヘアー・スタイルが、流行の先端になっていった事だ。今や、日本では、ヒップ・ホップやR&Bはポップスの主要ジャンルとなった感があるが、それらの先駆けとなった日本のアーティストたちの多くも、この“Soul Train”を見て黒人音楽に触れ始めた世代だといえる。“Soul Train”はディスコ・ブームの原点となり、ヒップ・ホップ・ブーム世代の原点ともなった。
世界的なトップ・アーティスト達によるライブも、当初はその当時ソウル界をリードしていたフィリー・ソウルやモータウンのアーティストたちによるソウル・コーラス・グループを中心に構成されていたが、70年代中頃には、コーラス・グループからクール & ザ・ギャング(Kool & the Gang)、BTエキスプレス(B.T. Express)、オハイオ・プレイヤーズ(Ohio Players)、コモドアーズ(Commodores)など、大所帯のファンク・バンドたちへと移り変わる。
そして、1974年のエルトン・ジョン(Elton John)出演を皮切りに、ハリー・ウェイン・ケーシー(Harry Wayne Casey)、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)、キャプテン & テニール(Captain & Tennille)、ホセ・フェリシアーノ(Jose Feliciano)など、白人やプエルトリコ系アーティスト等も出演しはじめ、1975年のヴァン・マッコイ(Van McCoy & The Soul City Symphony)による“ハッスル(The Hustle)”のヒット以降、白人、黒人に関係なくディスコ・ヒットがこの番組の中心になって行く。やがてディスコブームは終焉するも、1979年のシュガー・ヒル・ギャング(Sugar Hill Gang)の“ラッパーズ・ディライト(Rapper’s Delight)”のヒットを皮切りにヒップ・ホップの時代、ブラコンやハウスのブームなど各時代の“旬”の音楽を次々と送り出していくことになる。
こうして“Soul Train”は70年代にテレビ音楽番組の頂点に立ち(※注4)、80年代のMTVの台頭や90年代後半からのインターネットの出現により音楽番組の形態が様々と変化しているにも関わらず、そのコンテンツ・パワーで現在まで熾烈な音楽トップ・シーンを生き抜いてきた。2006年にTVでのレギュラー放送は一旦終了することとなるが、1987年からスタートした“Soul Train Music Awards(ソウルトレイン・ミュージック・アワード”は2009年まで開催され、遂に2010年にはタイム・ライフ社編集による“The Best of Soul Train DVD BOX”という新しいメディア展開も始まった(※注5)。
“Soul Train”はそのスタートから40年以上経った今も音楽文化を発信し続け、音楽が向かうことになる予測不能の大きな変化を常に先取りしている。 最後にドン・コーネリアスが番組エンディングで発するお馴染みの決めゼリフをお届けしよう。
“...and as always in parting, we wish you LOVE, PEACE... and SOUL !!”
2011年6月16日
ソウルトレイン 日本公式サイト編集長 草野英治
(※注1)
ドン・コーネリアスは1971年の第1回放送から1993年まで番組の司会兼プロデューサーを務めるが、それ以降は総合プロデューサーに専念することになる。その後の司会者は、ミストロ・クラーク (Mystro Clark/1997-1999)、シェマー・ムーア (Shemar Moore/1999-2003)、ドリアン・グレゴリー (Dorian Gregory/2003-2006)等が歴任することになる。
(※注2)
番組スポンサーはシカゴを拠点とした小売商社“Sears(シアーズ)”で、記念すべきローカル版第1回目のゲストは、Jerry Butler(ジェリー・バトラー)、The Chi-Lites(シャイライツ)、The Emotions(エモーションズ)だった。
(※注3)
当初は“ソウルトレイン・ギャング”と呼ばれていた。
(※注4)
当時、日本ではテレビ東京で放送され、94年から96年まではNHK BS-2で“ソウルトレイン’70 ”として再放送された。
(※注5)
日本では1パフォーマンス(1曲)単位でのダウンロード販売も2011年7月より開始予定。









